文章置き場

考えて文章を書く練習。続かないかも。

いろんなニュースがありましたね~

 大杉漣死去、スピードスケート女子団体パシュートの金メダル、カーリング女子準決勝進出決定のニュースが20時以降、立て続けに入り込んだ2/21。一つ悲しみ、一つに歓喜し、一つを応援したくなるニュースたちによって、自分は特に変化しなかった、という発見。無関心であったわけではない。かと言って、それぞれに特別な思い入れがあったということもない。ただ単に、日常の延長なのである。

 数千、数万という数のニュース/情報に触れる私たちは、この情報量に耐えるために、様々な情報を削ぎ落とし、重要な部分、すなわち事実だけを記憶するように、脳を最適化している。もしこの段階に不備があるのであれば、アドレス欄にちょいちょいと打ち込み、調べて補強する。この仕組みはインターネットが誕生してから今に至るまでに組み上げられた思考様式である。

 さらに、この思考様式は”インターネットを使い慣れた人”にしか通用しない。日本で急激にインターネット及びSNSが注目され始めたのはスマートフォン(っていうよりiPhone)が携帯電話に取って代わるようになってから、であるので、社会的に浸透していくにはまだまだ時間が掛かるのだろう。

 そういう、”社会に浸透していくにはまだまだ時間の掛かる”議論は、山ほどSNSに転がっている。自分が見ているのは主にTwitterだけれど、Twitterだけでも、政治、ジェンダー/フェミニズム、教育、誰かへの愚痴と賞賛はほとんど世の中のニュースと同じ程度の重要度で目に飛び込んでくる。インターネットには紙面的な制約がほぼないからとも言えるが、むしろ、インターネットでは”見ている人間”の興味によってニュース/投稿に優先度が割り振られている。無論、見ている人の頭のなかで。

 さて、いまシリコンバレーで話題になっているのは、AI/ディープラーニング技術によって、この人間の興味をハックし、より収益率の高い広告を張り出す仕組みに関してだという。人間、誰も彼も、金が好きである。金儲けをする事自体は良いとしても、他人の頭の中に手を突っ込もう、とするところに何ら倫理的な呵責が生まれないというのは、倫理が追いついていない証拠なのではなかろうか? では倫理とは?

 

 と、探検隊がアマゾンへ向かってしまう前に、適度に切り上げたい気持ちになってきた。というのは、抽象的なことを考えるのは得意だけど、これを人に伝えるということは難しいというのと、自分自身、今求められる倫理というのがはっきり分かっている、ということではないから。わかってるなら本でも書いてしまったほうが早いもの。

 でもね、周りの人たちも同じことを言ってるから、自分も同じようなことを言って大丈夫、っていうのは、そのうち通用しなくなるので、多少なりとも自分で良い悪いくらいは言えるようになっておきたいなって、思ってるんです。